元恋人の服を段ボールいっぱいに詰めて送った

書き散らしがしたい、と思い始めて数日。ようやく重い腰をどっこいしょと上げて筆を執る。筆、と言ってもこの場合はスマホの小さな画面を見つめながらポチポチと文字を打つことを指すのだが。

 

私は今帰りの電車に乗り込んで、たまたま席が空いているのを見たのでそのままドスンと勢いよく座ったところだった。すっかり重くなった足を憂えた私は(今日はついてるな)と喜んで、そのすぐ後に(いや、ついてる、といっても今乗ったのは各停だから、座れて当然かもしれない)とも思った。ついてると思った方が幸せ数値が高いので、そんなことはよいものとした。

 

本当ははてなブログを開設して、そのままくだらないことをつらつら書こうなんて思っていたが、なぜかスパムと疑われてしまい、改めてもう一度開設の申請をし直した(今度はGooglがプラットフォームのアンケートのような形式だった)。明日か明後日には申請が通るらしい。問題がなければ(問題はないはず!そう信じたい)

私は申請が受理されるまで待てなかった。一刻も早く散らばった思考をえいとつかまえて文字に起こしてきちんと整列させたあと、ようやく理路整然とした脳みそにしてしまいたかった。我慢ならずに愛用のスマートフォンにデフォルトで入っているメモアプリを久しぶりに開いて(これはとても便利なものだ)、やっぱり小さな画面を見つめながらポチポチと文字を打っている。

おそらくこの書き散らしは、数日後やっと開設されたはてなブログのいちばんめの話として公開されるはずだ(上手くいけばだが。上手くいってくれ!)無事公開された。

 

小話もほどほどに、そろそろ本題に入りたいと思う。

 

 

元恋人の服を段ボールいっぱいに詰めて送った。タイトルの通りだ。

ずっと押し入れにしまっていたものだった。付き合っていた間にことあるごと置いていったりだとか、もしくは部屋着用にと新しく買って、私の家で着るために置いていったものたちだった。

本当は会って渡すはずだったのだが、元恋人は私に会う気はさらさらないのが見てとれたし、かくいう私も今からまたあの顔と対峙する勇気も、それだけの体力も無くなっていた。最後にいくつかやり取りしたLINEで、荷物は郵送しようと二人で決めた。最後の決めごとだった。

 

服は思っていたよりもたくさんあって、引越し用の段ボールひとつ分(私の引越しの際に使ったものだった)の大きさになった。引越し用といってもとびきり大きいわけではないそいつの中へ、無理やりに詰め込んでやっと入り切るくらいの量。それでも、よくこんなに置いていって困らなかったな、と思った。生活に支障が出なかったのは服をたくさん持っているからなのか、もしくは私といるときに着るという意義を持っていたそれらを、もう必要としていないからかもしれない。どちらなのかは分からなかったし、どちらでもよかった。もう関係のないことだった。

一着一着丁寧に畳んでいった。本当は洗濯だったりアイロンがけまでして返せたらよかったが、おそらくもうそこまでする必要はない私だし、かえって気を遣わせてしまうことは簡単に想像できた。せめて、と思いながら、見覚えのある服ばかりを丁寧に、丁寧に畳んでいった。

全て畳み終えて、詰め込んで、積み重なった服の上にビニール製の大きな袋(借りていたものだった)をのせて、さらにその上に付箋を貼り付けた。使い回しの段ボールで申し訳ないということと、せめて直で入れずに残っていた少しばかりの緩衝材を使ったので許してくれ、という旨を書いた付箋紙一枚。二枚目に、いままでの感謝と謝罪と、これからの幸せを祈っていることを書いて、段ボールを閉じた。これで本当に終わりだな、と思った。

 

いつも利用している宅配会社に集荷を頼んで、それが来るのが明日以降とわかった。直近の休みを集荷予定日から選んで、選んだあと、集荷をキャンセルした。コンビニに持っていった方が早いと思ったからだった。誰のために早く荷物を届けようとしているのか考えて、私のために他ならない、と強く考えた。行動原理が以前のまま元恋人になっていないかが、最近はいつも不安だった。私が持つには大きすぎる段ボールを抱えて、ゆっくりとコンビニへ向かう。その最中だって、私は不安になっていた。

着払いにしてくれ、と頼まれていた。言うことを聞くのはいやだったので元払いにしようかとも思っていたが、こうして反発しようとしているのも、元恋人への意識がまだあるからかと気づき、大人しく着払い伝票を店員さんに用意してもらった。

新しい住所はこのときまで知らなかったし、だからこそ書き慣れていないのも当たり前だったが、なんだか不思議な気分だった。色々なことが日々変わっていっているのを、ひとつずつ知らされていっていて、私もまた、色々なことを変えていっている張本人だった。

 

 

昨日のことを空でなぞりながら文字に起こして、あのときはああ思っていたんだなとやっとわかる。あのときは本当はああだったんだなと、知らない自分があることに気づく。

今日も一日仕事をしていて、暇な時間にまた浮かんだりするのが腹立たしかった。まだ恋愛感情があるかと言われたなら、そんなことはないはずだと返す。未練はあると思う。幸せだったのだから。

ではこの感情はなんだろうとまた考える。腹立たしい、と思うことが多いのはきっと、話し足りなかったんだろうと思った。私はたくさん話をしたい人間で、言わないとわからないし、聞かないとわからないと本気で思っている。

でももう話をすることはない。話をする必要がないから。話をするような間柄ではないから。話したくないと思われているから。私もそう思っているから。

それを少し残念に思いながら、もう仕様がないことだし、どうにかできたところで同じことの繰り返しだと、言い聞かせることをまた繰り返した。

友人にすらもうなれないことが悲しかったけれど、友人に戻ったところで傷付くのはわかっていたことだし、なによりもう戻らないと決めたのも私だった。

 

色んなことが腹立たしかった。自分なしじゃいられなくなればいいのにと言ったのは元恋人で、そうさせたのも元恋人だった。もし別れたときに自分のことを思い出すように言ったのは元恋人で、爪痕を残すねと言ったのも元恋人で、一人でいま苦しんでいるのが私だった。

 

このままではいたくないと思う(癪だから)。何とかしたい。こんなことを考えるのは新しい恋人に失礼だとも思う。ただ今はどうしても忘れるために考えていて、なくすために思い出している。

 

 

 

そろそろ最寄り駅に着く。明日も仕事だ。目が悪い私は三日月に鼻がはえているように見える。自分へのご褒美に買ったファミマのおにぎりとチキンを持って、家に帰った。