トリックオアトリートと言わないハロウィン

給料が出た。給料が出たので安めの焼肉屋さんに行って一人で焼肉を謳歌した。給料が出たので年金の支払いと住民税の支払いを済ませた。給料が出たので携帯の乗り換えをした。給料が出たので、来月にはクレジットの引き落としがある。ああ、諸行無常

今週の土曜には、友人と朝から晩まで遊ぶ予定がある。午前9時に待ち合わせて(朝、というのは比喩ではなく本当に朝なのだ)、その足でチームラボへ、そうして日本では二店舗目となるハリーポッターのグッズショップ「マホウドコロ」へ、グッズ購入に勤しんだらその後はサーカスを見るというてんこ盛りの一日になる予定。その後もまだ時間は余るはずなので、ゆっくり話をしながらご飯を食べることだろう。ああ、楽しみだ。当日は何を着ていこうかな。早く時間が進むといい。

最近は少しずつ今の生活にも慣れてきて、朝は何時までならギリギリ間に合うか、電車の乗り換えには大体どれくらいの時間を要するのか。考えなくたってわかるようになった。新しい仕事は休みは少ないけれど楽しくて、たまに訪れる常連さんの飼っている犬が主にやりがいの八割を占めている。お金をもらいながらアニマルセラピーが受けられる職場なんてそうそうないことだろう。そう思う。

今でもたまに元恋人のことを思い出してしまってイライラして、でもその後には今の恋人のことを考えて心を撫でる。もう、今の恋人のことを考える時間の方が多いはずだ。

こうやって日々をやり過ごして、今年も残り二ヶ月を切ったわけなのだ。

 

トリックオアトリートと最後に言ったのはいつになる?お菓子をくれなければいたずらするぞだなんて、こんなにも自分勝手な言葉はないと思うが、ちいさなこどもが唱えると途端に愛らしい魔法の言葉に変身するのだから、つくづくこどもという生き物は最強だ。私も少し前までは、そんな存在であったはずだが。今ではもう見る影もない。私はもう、お菓子をやる側の人間になっている。

最後に言ったのはいつになるだろう。おそらくは、小学校に通っていた小さな小さな私が最後だ。母に言ったか、友人に言ったか、教員に言ったか。もうそれすらも朧気で、その後に一体なんのお菓子をもらったかさえも覚えていない。遠い記憶だ。

そうしてひとつ思い出した。私にはトリックオアトリートよりも、「ロウソクだせ」という言葉の方が耳馴染みがあるということ。それは地元で昔から続いていた慣習で、概ねハロウィンでのみ有効なトリックオアトリートと同じものだ。ひとつ違うのは、行われるのはハロウィンではなく八月七日の、北海道では七夕の扱いになっている日であること。

書きながら一抹の不安がよぎる。この情報で合っているっけ?そうしてブラウザで検索した「ロウソク出せ」。出てきた文字列に、ああよかった。記載内容が合っていたことに安堵して、そのまま眺めると後に続くのはハロウィンの呪文よりも随分物騒な歌詞。それはいたずらどころではなく完全な武力行使を歌っていて、ロウソク(お菓子)をよこさない人間には噛み付いて引っ掻いて、なんともやりたい放題な怪物たちの軍歌である。

懐かしいな、と思った。近所の子供らと一緒に列を生して歌いながら歩く。 並んでいる家々へ順番にインターホンを押して行って、ざっと一周したらその日のノルマはクリアだ。帰ってくる頃には盛りだくさんのお菓子がある。喧嘩しながらでも、兄と分け合いながら二人で食べていたあの日。随分と大切にされていたんだなあとこの歳になって気づくのは、少し情けない。

今ではもう魔法の言葉は唱えられない私だが、果たしてその効力は本当に切れているんだろうか。聞き届けてくれる人はきっといて、それにまた気づいていないだけかもしれない。もしそうだとしたら、あの日から何も成長していないことになる。それは大変喜ばしくない事実だ。お菓子を分け与える側と思い込んでいるが、私にだってお菓子をくれる人は今もいるのかもしれない。いるといいなあ。もしいるんだとしたら、ありがとうと言いたい。私にお菓子をくれてありがとうと。

 

なんてこった。

こんなことを書いていたら電車を乗り過ごした。何かに集中すると何かが疎かになる。こんな癖は早く治したいところだが、今日はひとまず。がたごとと、のんびり進む各停の電車でお家に帰ろうと思う。

 

追記 : 恋人に「トリックオアトリート」と言ってみたところ、もう終わったよ、とだけ言われたので、来年こそはと思う。来年こそはお菓子が欲しい。来年こそは、私もお菓子をあげたい。来年こそ、来年こそは。

きっと来年のハロウィンまで、一緒にいられたら嬉しい。