近頃の発見について
近頃した発見について話したい。私の中ではだいぶ大きめの発見。それこそ、人生が変わってしまうほどの。
どのような発見か。まずひとつ、私はいままでずっと勘違いをしていた。人生というゲームにおけるルール、趣旨、コンセプト。何となくそういう、要は指針になるような大それたもの。それを勘違いしていた。では、どんな風に?
私はずっと、この人生における安定性というものを重視し、それこそを競うゲームなんだと思っていた。だけど、違った。
そもそも人生をゲームと捉えるなんてどうかしていると人には言われたが、生きていくのであれば結局は何かをせずにはいられない人間なのだから、ゲーム性を見出したとて問題はないと思うし、私のような負けず嫌いにはその方が都合がよいのだ。
ただ私はそもそものゲーム内容を勘違いしていて、では実際は一体どのような内容なのか。それは、「自分の快・不快というパラメータについて、快をより大きくしていくゲーム」だったのだ。
生きていてどうしてもプラスマイナスの感情は生まれる。時にはどう考えても理不尽な、自らの行いとは相関のない災難が降って湧いてくることもある。ただそれを、どうにかプラスへ。自分にとっての快へと持っていく必要があるのだと思う。
例えば何か嫌なことがあったときに好きなものを食べて元気を出したりだとか、好きな曲を聞いたり、好きな場所へ行ったり。リラックスできるようなことをして傷を癒す。つまり、マイナスからプラスへと変えていく。自分のご機嫌取りが上手い人間ほど、このゲームでは優れているといえる。
これを例えばマイナスからプラスに変えるでもなく、マイナスになるものをただ排除した場合。例えば嫌な人がいて、嫌な気持ちになったけど、ただその人を避けるだけで自分には何もリターンをせずにいたとする。それ以上のマイナスはないかもしらないが、プラスになることもない。これだと一度マイナスになった気持ちは変わらず、ただそのまま停滞することになる。そうして時間が経てばいずれは癒えるだろうが、自分でプラスにしようとするよりは遥かに遅いだろう。それではいけない。
ただ、私は間違いなくそのタイプだった。そのタイプだったが故に、ゲーム性を勘違いするようになっていた。
元を辿れば学生の頃へと遡る。私の実家は裕福ではなく、シングルマザーなことと、私が中学二年に上がった頃から母親は働けない状況になったことで、齢14にして私は常に不安がまとわりつくような人生を送ることになった。経済状況が安定しておらず、そのため自分の進路の選択肢も狭まり、高校に上がったらアルバイトをして家庭を支えること。そして高校を卒業したらすぐに就職し、月に二桁もの金額を家に入れなければいけないことが決まってしまっていた。そんな状態が続くとどうなるか。多分わかりやすい。不安定を嫌い、安定と堅実を好むようになるのだ。
不安定というマイナスを排除する(安定する)ということは、それこそマイナスをなくしただけで、プラスにはならない選択だが、私はそうするしかないと思っていた。実際当時はそうするしか方法はなかったと思うし、よくやっていたと思う。ただ、マイナスになった気持ちが自動的にプラスになることは基本的にはない。それに気づけないまま、安定さえすればいいのだと、安定することこそが至上で、そうなることさえできれば私は幸せなんだと、いつからかそう思うようになった。手段と目的が入れ替わり、人生というもののゲーム性を見誤ったのだ。
それから今までは本当にひどかった。したいことがあっても、食べたいもの飲みたいものがあっても、基本的には我慢をする。なにか口実がなければそうしようとしない。なぜか。安定を損なう可能性があるから。そうして、私は我慢することが人よりもうまかった。少しばかりか耐久値が高いせいで、我慢することがそんなにはマイナスではなかった。だからそれを積み重ねて、プラスになることはなく、たまにマイナスになる出来事があってもそれを癒そうとはしない。つまり、どう転んでも徐々に転がり落ちていくしかないということ。加えて、私は自分がどうすれば快になるのか。つまりは自分のしたいこと食べたいものといった欲求が分からなくなり、ただ義務的にこなすだけで、自分が本当に欲しいものさえなくなってしまった。
最近仕事中に考えごとをしていた。今後の進路、つまりは仕事について。またいつ転職をするか、どのような職に就くか、どう生きていくのか。色々と考えて、自分が安定ばかりを目指そうとしていることに気がついた。気がついて、どうしてだろうと考えて、そして人生そのものの生き方を間違えてきたんじゃないかと、そんなふうに思った。
今までの全てが間違っていたなんてことはないよ、と人が言ってくれた。それを聞いて安心した。ただこれからより良くなっていくだけだよ。大丈夫。
気がついてから、少し人生が楽になった。自分が何かを望んでも、それは悪いことではない。贅沢でもない。マイナスをプラスにするのはそういうゲームだからであって、罪悪感を抱かなくてもいいのだ。
気がついた日、試しにと思い仕事帰り、卵と牛乳、そして干し柿を買った。卵と牛乳は、使いたいなというタイミングは幾度とあったものの、必須ではないから、お金の無駄だとやめていたもの。干し柿は、たまたまその時目について、買ってしまった。私は実は柿が凄く好きで、今年も食べたいなあとずっと思ったまま、食べずにいたものだった。それを半分に切って有塩バターを挟んで食べたいなと思った。それは、元恋人が教えてくれた食べ方だ。元恋人のことを思い出すのも、悪いことではないのだ。
仕事のことを考えた。今までの選択肢を一旦全てとっぱらって白紙にして、自分のしたいことは何かと考えた。私はずっと、人生で唯一、何もメリットはないけれど絵だけを描き続けてきた。たまに描かない時期もあったりしたけど、また筆をとって、描きたいと思うことだけは、今までずっと続いてきたことだった。
そしてデザイン関係の仕事について考えた。中学生の頃から、安定のために絶対に選ばないようにと考えていた職業だった。知り合いが薄給だと嘆く度、私はそうならない仕事に就こうと考えていた、憧れの仕事だった。
私は今二十一歳で、高校を卒業して働き出し、二回の転職を経験している。今は焼き芋屋さんで働いていて、案外適当でも人生は何とかなるもんだと気が付き始めている。
薄給でも求人が少なくてもいいんじゃないか。またこれから数回だって転職をしたっていいんじゃないだろうか。今から目指したって、いいんだきっと。だってそういう人生なのだから。そういう、ゲームなんだから。
これからは勝ちに行きたい。今までのことだって間違いなんかじゃないと抱えたまま、けれどこれからはもっとプラスになる生き方をしていきたい。人生楽しんだもん勝ちというのは、きっとそういうことなんだと思った。
今年も終わるね
2023年もいろいろありました。
今日は十連勤中五連勤目(気持ち悪い八字熟語)で、年末で、でも思ったより忙しくなくて拍子抜けして、午前四時まで働くみんなを残して会社から帰ってきた。
お客さんは年末でご機嫌なお客さんばっかりだったし、帰りに雨は降ったけど買い物をしていたら止んでいたし、年末最後にご褒美として色々と買った。今年最後の日、いい一日だったと思う。
来年は、今の新しい考えで新しい生き方をしていくことだろう。大変だけどまた頑張っていきたい。そう思えるから健康だ。
これからデザイナー職を目指します。頑張ります。2023年、ありがとう。
2024年も生きてくぞ!
追記(2024/1/1)
Twitter(X)で見かけたツイート(ポスト)に、「ライフハックを試そうとも自己肯定感の低さによりそもそも試すことができない」というようなものを見かけました。それ以外でも、やはり何かをするときに自己肯定感が低いということが足を引っ張ることが皆さん多々あるようで。
私は今回、何かを自分のためにするのに安定のために我慢をする、罪悪感があるから何もしない。そう言いましたが、確かに私も今まで自己を肯定する力が足りなく、そのおかげで(これは皮肉めいた言い方)自分への施しができない、というのも理由の一つだったのかもと、思い当たる節がありました。
この発見のおかげで私は知らぬ間に自己肯定感が低いという問題までをも解決してしまったのかも。それは、すごくいいことだな。
なんとかこのまま続けていって、素敵な人間になりたい。そう思います。