予行練習
そもそもユキだって、私になんにも言わなかったじゃない。
明日提出を控える数学の課題を眼前に据え置いたまま、もう三十分も手を付けないでいるカホの悩みは、一問も進んでいない連立方程式なんかのことではなく、親友ユキの態度についてだった。
今日の五時間目に行われた修学旅行のグループ決め。来年には最終学年になり、そうして次には卒業が待っているこの第二学年において、三年間ある中学校生活のなかでも一大イベントである修学旅行は、言わずもがな特別なものになることは既に決まっている事実だった。だからこそ旅行中ずっと一緒にいるグループ決めはとても重要で、それは、一年生のころからその相手を決める生徒もいるほどの。
「私だって、ユキと同じグループになるつもりだったのに。」
ユキとカホは一年の終わりから話すようになった。それまではただのクラスメイトだった二人だが、進級してまた同じクラスになったことも相まって、段々と話す機会も増えていって。もういまでは、毎日隣にいるような存在だ。
(話す前はユキのこと、すこし怖かったんだけど。でも、案外優しいところもあるって段々わかっていったんだよなあ。)
一見すると全然違ったタイプに見える二人だが、見た目は派手でも本当はとても優しいユキと、おとなしいと思われがちだが芯の通ったカホ。二人でいると、なんだかなんでもできるような無敵の気分になれる相手だった。
(でも……。)
グループを決める時間になり、当たり前のようにユキと同じグループに入るつもりだったカホだが、ユキの席へと向かう途中で二人の女子に声をかけられた。
「ねえ、カホ。もうグループ決まってる? 私たちのところに入らない?」
声をかけてきた二人は、ユキと仲良くなる前まではよく一緒にいた子たちだった。小学校が同じだった二人とはなにかにつけて決めさせられるグループで毎度おなじみの仲で、一学年のときに行われた宿泊研修でも同じグループに入っていた。
いや、でも。
ユキと回るつもりだからと、カホは口にしようとした。修学旅行のグループは合計六人までで、基本的には男女半々になるようにと言われている。二人と同じグループになりたくないわけではないけれど、それではユキと同じグループになれない。ということはつまり、断るしかないということで、だけれど……。
(その場合、この二人は誰と組むんだろう……。)
二人は、カホの顔色を窺っているような表情をしていた。おそらく他に誘う相手がいないんだろう。それは正直、普段の様子を見ていてもわかることだった。このクラスには、私たちと同じ小学校出身の子があまりいない。だからこそカホだって、ついこの間までは二人とずっと一緒にいたのだから。
ざわざわと、みんなの話し声が耳に入ってくる。少しずつ、着実に、グループは決まっていっているようだ。ユキは? ユキは、誰かに誘われているんだろうか?
(私が勝手に一緒に回る気でいただけで、特に約束はしていなかったから。もしかしたら、ユキは他の仲が良い子と約束をしていたかもしれない。)
教室の反対の方にいる、ユキを見た。すぐに目が合ったのは、ユキもこちらを見ていたからだとわかった。ユキは私たちのことを確認すると、ふいっと目を逸らして、ちょうどユキに話しかけた他の子に答えるようにそのまま違う方を向いてしまった。
「……カホ? もしかしてもう、誰かと約束してた?」
声をかけられて、遠のいていた喧騒が一気に取り戻される。相変わらずがやがやと絶えない話し声の隙間で、二人は心配そうにカホの名前を呼んだ。
「……ううん。約束はしてなかったから、大丈夫。」
体はユキの方へ向いたまま、言葉だけでカホは返事をした。ユキはこちらを見ないまま、そうして、キーン、コーン、と間延びしたチャイムが教室全体に鳴り響く。柔らかな鐘の音に打ち砕かれた一瞬の間を置いて、続きは明日にするぞーと言って先生は教室を出ていった。各々が次の授業の準備を始めていくその最中にも、ユキとはやっぱり目が合わないまま。
……そうしてすぐに六時間目の授業に移って、一日の授業がすべて終わったあとでも、教室掃除のカホに一瞥もくれず一人帰ってしまうユキを、カホはなんだかやりきれない気持ちで静かに眺めていた。
「私が他の子とグループを組むのがいやなのかもしれないけど。ユキだってあの子たちとこのまま組むんだろうし、そもそも、私たちが話していても話しかけてくれればよかったのに。」
元々約束だってしていなかったのだ。それに、ユキがこちらを見ていた時点ではあの二人と一緒に行くことを決めていたわけでもないのだから。勝手に事実を決めつけて、勝手に怒って、勝手に置いていって!
(……明日の朝、なんて文句を言ってやろう。)
シャープペンシルを手に取り、課題に取り掛かる。ふつふつと怒りが湧いてきたカホは、それを拭うように途中式をぐりぐり書きながら、毎朝の待ち合わせ場所に立つユキを想像する。どうせ一晩経ったら後悔をし始めて、次会うときにはばつの悪い顔をしながら話しかけてくるんだから。いつもは吊り上げている眉を八の字にきゅっとさせて居心地の悪そうなそぶりをする親友の様子を頭の後ろで浮かべながら、まずは目の前の一問目の解に、きゅっとアンダーラインを結んだ。
☆
「なんだ、今日はミスが多いぞー。修学旅行前だからって気を抜くなよ。」
朝のHR前に提出した数学の課題が三時間目の授業で返ってきて、返ってきたのは、最近ではあまり見ないレベルのミスの山だった。計算ミス、符号ミス、これはなに? なにかわからないミス、計算ミス、計算ミス……。間違いのオンパレードに、こんなに凡ミスをするほど昨晩は集中ができていなかったんだとカホは呆れた。数学で頭を悩ませている暇なんていうのは、これっぽっちもないというのに。
「あれ、カホ。珍しいねえ、いつもはほとんど間違えないのに。」
調子悪い? と、隣の席のサヤカが聞いてくる。今日だけでもう何度目かの先生からの注意に、最初は笑ってくれていた彼女もさすがに心配してくれているようだった。提出期限ギリギリの時間に登校してきてなんとか免れた遅刻も、本日限りはカホ用になっているサヤカが貸してくれた筆記用具も、先生の話を聞いていなくてどこから読めばいいかわからなくなった国語の教科書も、挙句の果てはチェックまみれで返ってきた数学の課題も。いつものカホでは考えられないような態度だと、日々隣で授業を受けているサヤカはよく知っていた。カホは今日だけでもう、何度目かのぎこちない笑い方をする。
「いやあ、寝不足なのかも。昨日はあんまり寝られなかったから。」
課題を終わらせた後もカホは悶々とユキのことを考えて、いくつかの反論を描いては消して、描いては消して……。ユキの態度に不満はあれど、気持ちさえ否定したいわけではなかった。だからこそ今日待ち合わせの場所で会ったときには軽く文句を言って、いつも通り笑い合えばいいと考えていた。考えては、いたのだが。
(待ち合わせ場所にも来ないって、なんなの……。)
そう、ユキは今朝いつもの交差点へはやってこず、時間のぎりぎりまでユキを待っていたカホは危うく遅刻をするところだった。赤と、青と、点滅を繰り返す信号機には何度ユキを呼んでも、昨日から変わらずうんともすんとも返事をしてくれずに。
結局、あの時間から一言も交わせていないままもうすぐ四時間目。次には昼休み、そうしたらまた昨日の続きのグループ決めだ。あの担任がそんなに悠長に時間を取ってくれるとも考えられない。昨日は他の決め事がたくさんあってあまり時間が取れなかったから今日に引き続いたけど、もうこれで正真正銘のラストチャンスだ。カホはまた、窓際の席におとなしく座っているユキを見る。いつもであればそろそろこちらの視線に気が付いて変な顔で返してくる頃でも、ユキの視線は依然として釘で打たれたように黒板の文字から離れることはなかった。
「────ホ、カホ!」
何度か繰り返し呼ばれた名前に、カホはおもむろに目を開く。
(ああ、寝てたのか。)と気が付いたカホに、同室の彼女は続けざまに声をかけた。
「もう、カホ、どれだけ寝てるの! 朝ごはんの時間おわっちゃうってば。」
あさごはん?
「そうだよ、ビュッフェは九時半が最終だって、カホが昨日確認してくれたんでしょ!」
ビュッフェ? 九時半? 最終?
それは、確か修学旅行二日目の予定表に書かれていた内容だった気がする。三泊四日の修学旅行の二日目、前日にチェックインしたホテルでの朝食ビュッフェは九時半が終わりの時間で、その後にはすぐにチェックアウトをして次の工程に進むのだ。のだ、けれども。
(なんで、ユキが?)
目の前にいるユキはテキパキと身支度を済ませて、同室の他のメンバーに声をかけている。忘れ物がないかのチェックをしたり、次の集合場所を確認したり。そうだ、ユキはいつもは大雑把なところがあるけれど、私がうっかりしているときなんかは特にいつもの倍のスピードで物事を進めてくれるのだ。
ユキは、こちらへ視線をやらなかったあの姿をうそにするみたいに、カホの目をもう一度しっかりと見て𠮟咤する。
「だから、カホってば! ぼーっとしてたら時間なくなるよ。もう九時になるんだから、ビュッフェ閉まっちゃうよ!」
当たり前のように同じ部屋にいるユキは、当たり前のようにこの後の行程も一緒にいるらしい。
(さっきまでの、数学の授業……夢だったってこと? だとしたらわたし、相当寝ぼけてる?)
わかったよ、とだけ答えて、カホはベッドから下りる。すとん、と素足でカーペットに立ち、ユキに声をかける。
「ユキはもう準備できたの?」
顔を洗うためバスルームまで行くと、ベッドのある部屋から声だけが返ってくる。
「カホが授業中にうたた寝してる間にとっくに終わったって。だからはやく準備してよー。」
はいはい、とだけカホも返事をして、蛇口をひねる。冷たい水がさあ、と流れだして、両手で掬って顔にかける──ん?
(いま、うたた寝って言った? 授業中に?)
変わらず響く流水音はそのままに、カホは顔を上げる。肌についた水滴が頬を滑り落ちて顎にかかり、カホの服には小さなシミができた。ぽたぽたと着地したそれは洗面台に流れる水と一緒くたになって、渦を巻いて排水溝へと流れていく。
はやくー、と聞こえてくる方へと向かう。今日は修学旅行二日目の朝で、私たちはこれから朝食を食べてホテルを後にする。予定では次は夕方まで自由時間なので、町のなかを同じグループメンバーと回る予定だ。それは、ユキと行きたかった、あの。
顔を濡らしたままやってきた親友に、ユキはさほど驚いていないようだった。そこでカホの疑念は確信に変わり、ずっと聞きたかったことを、聞こうと思った。
「……ユキ。ユキは、わたしと同じグループでよかったの?」
そうすると、やっぱりユキはカホの目を見ながら、当たり前のように答えた。
「あたりまえでしょ。カホと同じグループがいいって、仲良くなったときから思ってたんだから。」
なにを言っているんだと言わんばかりのユキの表情と、間髪入れずに返ってきた返答が少しむず痒い。さっきからなんだか実感がないカーペットの毛触りは、きっといまのこの時間こそが夢であることの現れなんだとカホは思った。夢の時間を終わらせて、きちんと現実のユキに向き合うためにカホも、しっかりと親友の目を見る。これはあくまで予行練習だ、今朝の待ち合わせ場所でやりたかったことの。
「わたしも────。」
親友のセリフに、ユキはまるで彼女の言いたいことが最初からわかっていたようにゆっくりと頷いてみせるのだった。
☆
「ごめん。二人と回りたくないわけじゃないんだけど、今回はユキと同じグループになりたいの。」
給食を食べた後、昨日声をかけてくれた二人のクラスメイトに今度はカホから声をかけ、三人はめったに使われない廊下で話をしていた。人のいる教室がある方からはゆるやかに話し声が伸びてきていて、賑やかなグラデーションが薄くなってきている冷たい廊下にはカホの声が響く。そうして、響いた後には静かに溶けていき、溶けていった後にまた一瞬の静寂を挟んでから、彼女たちは伺いあうように目を見合わせた。まるで、なにかの合図みたいだとカホは思った。
「……うん、そうだよね。カホはユキちゃんと回りたいだろうなって、二人であの後話してたんだ。」
沈黙のサンドイッチを食べ終えて、ようやく合図が終わったのか、一人が慎重に口火を切った。
「私たちがカホと同じグループになりたかったのも 本当だけど、正直だめもとだったから。気に病まないで大丈夫だよ。」
きっと昨日、二人で話してくれていたんだろう。そうわかってしまうほど代わる代わる出てくる気遣いの言葉に、カホはたまらなくなった。言いたいことは山ほどあるのに、どれもをうまく掴めない。掴めなくて、でもうれしくて、掴めないままでも伝えたくて、なんとか一言だけでも、ありがとう、と振り絞った。
カホ離れしないとねえ、なんておどけて笑う様子にまた胸を締め付けられながら、カホは選択のつらさを思う。
(でも、私は。こう言ってくれた二人の優しさに応えなきゃ。)
いつの間にか握っていた拳をゆるくほどきながら、「また三人でも遊ぼうよ。」と笑うと、二人もまた笑顔で答えてくれる。カホは、今日初めての笑顔で、二人に笑いかけた。
☆
教室に戻ると、いつもの窓際にユキの姿は見当たらなかった。昼休みは大体、いつも二人でいることが多い。自分がいないときのユキの過ごし方を、カホは今まで知らなかったことに気が付いた。
「サヤカ、ユキがどこに行ったか知らない?」
席が近い数名のクラスメイトと話していたサヤカに声をかける。私たちの座席は廊下に近いから、教室を出ていく人を見やすいのだ。
サヤカは、いまこのクラスの中心の話題である修学旅行の行程表を読んでいたようだった。詳細が決まっていないからまだ作成されていないしおりの代わりに、取り急ぎ仮の内容が書かれてある行程表には、はっきりと『二日目 朝食ビュッフェ 九時半が最終』と書かれている。
「ユキ? 多分カホたちが教室から出ていったもう少し後に一人でどこかに行ったと思うよ。」
他の子たちも口々に私も見たよと教えてくれて、なんだ。ユキは昨日話してた子たちとどこかに行ったわけじゃないのか。
「あ、カホ、ユキ探してるの?」
そんなことを考えていたら、本人から声をかけられてしまった。私が気が付かなかっただけで、彼女たちも教室にいたらしい。
「あ、うん。そうなの、どこに行ったか知ってる?」
内心どきどきしながら、カホは尋ねる。学年のなかでも大人びている彼女の長い髪は、昼の光を受けてきらきらとしていた。ユキを訪ねるカホの声に若干の緊張感が帯びていたのは、昨日の光景を思い出したから。
それでも、彼女は素知らぬ顔でそれがさあとなめらかに言葉を綴る。
「昨日私たち、ユキのこと修学旅行のグループに誘ったんだけど。そのとき『明日まで待って』、って言われたのね? でももし他に回りたい子いるなら全然優先してほしくって。」
それを言いたかったのに、教室から出て行っちゃったから。
あんまり話したことがないクラスメイトの発言に、カホは少し驚きながらも、続いた「だからユキのこと見つけたら、そうやって伝えておいてくれる? 」というお願いには、力強く頷いた。お願いね、ともう一度言われて、今度はもちろんとだけ答える。
もちろん。それと、ありがとう。
……さあ。あとは、ユキだけだ。
☆
廊下を走っちゃいけないっていうのは知っている。知っているから。知っているから今日だけ、後でちゃんと怒られるから。だから今だけ見逃して。
全力で走ったりはしていないけれど。先ほどから校内中を探し回っているから、いやというほど呼吸音が響いている。昼休みのざわめきとの間にフィルターを一枚挟んだように、むしろ、ひとつの空気がカホの周りにだけ漂っているように、今のカホのなかにはユキのことしかなかった。
窓からざっと見渡して、校庭にはいなかった。図書室にも。いつもの空き教室にも。渡り廊下にも。音楽室にも。保健室も、体育館にもいなかった。そうしたら、残るは。
「屋上だ。」
行ったことはなかった。普段から施錠されている屋上には、基本的に誰も立ち入ることはできない。使われる教室も少ない上に屋上にも行けない四階には、放課後の部活動くらいでしか人が集まることはなかった。エレベーターもない古い校舎では階段を使うしかなくて、人が寄り付かない四階への階段はいつもならただのオブジェに過ぎない。ただ。
(ただ、結構前に。ユキが話してくれた。)
昔の卒業生が屋上の扉を開ける鍵のスペアを作っていたらしいこと。そのスペアは、私たちが放課後いつも居座っていた空き教室のロッカーに入っていること。年の離れたお兄さんから話を聞いたらしいユキは、秘密を一つ作るような顔をしながらその鍵を見せてくれた。結局、ばれるのが怖いからってその鍵を試したことはなかったけれど。
(ユキは、屋上にいる。)
予感はゆっくりと確信に染まって、カホは少し埃を被った、屋上に続く階段へと一歩踏み出した。人のいない空間にはきゅ、きゅ、と上履きのとまる音が響く。一歩の余韻をかき消すようにまた一歩、一歩と足を動かす。昼休みのほとんどを走っていたから、少し暑い。汗は頬を滑り落ち、夢のワンシーンのように制服を湿らせる。そうしたら次に、私はユキに言うんだ。
ユキ。ユキは。
修学旅行二日目の朝がリフレインする。当たり前のように答えて。私が寝ぼけて準備が遅くなったんだって、そう言って。そうしたら私もユキの態度を叱るから。また軽口叩き合って、いつも通り笑い合おうよ。
(……丸く収まったら、みんなにも改めて謝らなきゃ。)
階段の最後の段が終わる。屋上のドアの前へとたどり着く。昼休みが終わるまで、あと少しもない。今度は私が間に合わないって言う番だ。
ドアノブを回す。鍵がかかっていない扉は簡単に開く。重量感のあるそれをゆっくりと押しながら、視界に入り込む眩しい光へと私は大きく名前を呼んだ。
うずくまるスパイダー
ボーダーラインは曖昧だ。
何回だって言ったかわからないが私は名前をつけることに対してやや懐疑的な見方をしている人間である。名前を付けるという行為はそのものを生み出すことであるのと似ている。私たちはぬいぐるみに名前を付けることで自分のぬいぐるみであるという所有欲を満たし、ぬいぐるみのララは自分がララであることを認識する。同じように作られた他のぬいぐるみとララとの差別化を図った私たちは、ぬいぐるみが製作者に綿を詰められたのと同じように今一度このぬいぐるみをララとしてこの世に生み落とそうとしている。ララという名前を呼ぶたびにその存在をなぞり、それは回数を増すごとに彼の実在性をより強固なものにし、私たちの間の親愛度は高まっていく。確立化させられたララは、確立化をさせた私の顔をよく覚えている。私は責任をとらなくてはいけない。
感情に名前をつける私たちは、他の可能性を断ち切りその瞬間にこそ私たちが望むものを作りあげようとしているだけにすぎない、あなたはどう思うだろうか。
☆
恋愛感情は存在しないと、人が言っている。私はまあたしかに、そうかもなと思う。恋愛感情は存在しない、あなたはどう思う?
☆
一つみんなに聞きたいことがあるから今からそれを聞くから私がそれを聞いたら逡巡ののちに答えてほしい、どうか私の目を見て。
私たちは理性に生きる獣だ。感情という千もの波を内に燃やした動物だ。リンゴを勝手に食べたばかな祖先の鎖を繋いできた生き残りの文明人は、こんなにも発達した言葉を使ってこうして文章を書いている。
言葉というのは強大だ。言葉というのは強力だ。言葉というのはとても強い呪いだ、祝福だ、緊縛だ、それは、とても強い解放だ。
なぜ私たちがファジーなあれそれを言葉という型に押し込め閉じ込めるのか、それは、解放をされたいと寂寥に走る二本の脚からくる思いだ。言葉を持たない私たちは孤独で、言葉を持たない私たちは苦痛で、言葉を持たない私たちは八方塞がりの迷路にさまよって泣いている。私たちは、自らの思念を他者と共有することでその孤立感を紛らわせている。私たちは、自らを苦しめる正体を明らかにすることで言いようのない正体不明のマイナスな気持ちからほどかれようとしている。私たちは、互いを、自らをたらしめる標を残しておくことでいつも先へと進んでいこうとする。私たちは、様々な困難を乗り越えるために言葉を使おうとしている。そうして、乗り越えるために設置した数々の言葉たちに足を掴まれ、ときにはがんじがらめになってしまっていたりする。
言葉というものが美しい魔法ではなく、反動のある手品に過ぎないということを、私たちはよく知っている。
☆
恋愛感情はその大抵が複合感情であると思っている、単体であればその正体を見紛うことはないからだ。
☆
あまりに強いものを行使するとき、私たちはしばしば怯え、様子見をして、あるいはしばらく該当のそれを放置するだろう。ただ一たび手にしてみると、その便利さに舌を巻き、その効力に酔いしれ、次にはきっともう手放せなくなってしまう。
名前を付けられた感情は確かな質量を持っている。そいつを誰かにプレゼントするとき、そいつはとても勝手のいい鈍器としてよく動く。言葉というのは強大だ。
感情の暴力性について、よく思う。感情というエネルギーの塊、生命力の化身、こころのかけらのそのひとつについて、それらのそもそもの影響力について、あなたはどう思う?
人を左右させるものだ。感情は、私たちを守るために発生する。理性は、感情を守るために働く。私たちは、理性をもって感情をぶつけ、人を操ろうとすることがある。それは、感情の重要性を知っていながら、それとも、感情の重要性を知っているからこそ。生きていて感情の雫を発露させないことはとても可能なことでないだろうと思う。そんなことができるなら、私たちはここまで進化してこなかった。
☆
恋愛感情というものが基礎感情の一つであるわけがない私たち社会動物は文字通り社会に生きる動物であるがために他者と関わらなければ生きてゆかれずその過程で他者へと向いた感情は都合のいいロマンスとして今もなお世界で蔓延っている疾患である。
☆
自分勝手な生き物として今日まで生きてきた私です、おそらくは大多数の人間が同じ側であることだと思います、私たちは無遠慮に傲慢に利己的に排他的に強引に美しく生きてきており、なにより生命として正しいことです。です。です。はい。ええ。はい。そうですねえ。ええ、ええ。いかにも。では。では。では?
傷をつけずにいられない私はせめて傷をつけているという自覚を、傷をつけるのであれば傷をつけるという覚悟を、つけられた傷をその痕をかさぶたをしっかりと見つめなければいけないという意識を、せめて、せめてせめて持っていたいと思う。私はあなたといたいと思う。そのためにあなたを傷つけることになったとしてもそうしたいと思う。同じく私が傷つくとしてもそうしたいと思う。私はあなたと痛いと思う。傷をつけるのであれば、つけられるのであればあなたがいいと、いつもそう思う。
名前を付けるということは責任を負うということだ。言葉にするということは縛られるということだ。あなたに伝えるということはあなたを傷つけるということだ。私は私の責任を持って縛られた自由の中であなたに傷をつける、たまに、形にならないあやふやを抱きしめて眠る夜に沈みながら。
☆
恋愛市場では暴力性が顕著に浮き出た感情をぶつけることが認められていて、おかしいと思っている。あなたの宇宙を侵害する権利を私は持っていないし、あなたも同じく私を侵害することはできない。愛のある侵略をするには契約がいるし、それは恋人関係だというし、私にはいまそれがいないから当然に誰のことをも侵害する権利は持ち合わせていない状態だ。
存在しない恋愛感情を恋愛感情たらしめるのはいつだって当人の意向次第ではないかと思っている。複合感情が一つの目的へ向かっていて一人の理性では到底その重みに耐えられなくなってしまった際にどうにもやりきれず口を揃えて理屈じゃないと答える恋愛ユーザーの方々は理屈ではないのではなく理屈に逆らいたくなっているのではないかと思っている。私たちは理性に生きる生き物ではなくて感情に生きているのだから理性はあくまでも感情の番人として突っ立っているだけなのだからそれはある意味では健常なことだろうと思っている(そうでない人間が健常ではないかと言えば、その限りではない)。私はもうずいぶんと人への興味を失ってしまって、いつの間にか理性の僕に進んでなろうとしていて、もう一度でいいからあの沸騰するような感覚を味わいたいとは切に願っていることではある。
私は恋愛感情になりうる単体のそれらを複合せず見つめ分解しひらいてアイロンをかけたあと綺麗に折りたたみタンスへしまう。大きな風が吹いてそれらがばさりと空へ踊る日をいまかいまかと待ち望んでいる。凝り固まってしまったこの脳みそをゆるく溶かしてリボン結びにすることを今日にだって夢見ている。
恋愛感情というものは存在せずそれはきっと多分様々な欲求や感情の組み合わさったものが緊張感を帯びて訪れてくるもので、訪れを歓迎してオーバーフローしたあなたはこれが恋だとうたっている。同じものを私が持っていてもそうはならない、いや、そうなる前にきっと私はそれらを所定の位置へとしまいこんでいるのだろうと思う。それらの来訪に気が付いてすらいないのかもしれないと思う。私が恋をうたう日はまたいつかくるのだろうかと思う。私は果たして本当にそれを望んでいるのだろうかと思う。
恋愛感情を恋愛感情たらしめるのは当人の意向次第ではないかと思っている私は私がそれらを許せるのかが誰かへそれらを持つ日が向ける日がくるのかがわからなくて、わからない間はきっと、私はそれを真には望んでいないことだろうと思ってはいて、こんな理屈なんてどうだっていいと笑ってぶち壊してくれる人をきっと欲しているんだろうと思ってはいて、つまり私は「ライトノベルというジャンルにおけるやれやれ系主人公がいつもの日常を突然に表れた美少女によってして変えられてしまう」というあれに憧れる男子中学生と同じ気持ちを大人になっても抱えたままでいる厄介な人間なわけなので、春の終わりの今日の夜はなにもせずおやすみなさいと言って眠りにつく。
☆
何回だって言ったかわからないが、私は、名前をつけることに対してやや懐疑的な見方をしている人間である。名前を付けるという行為は、そのものを生み出すことであるのと似ている。
感情に名前を付けるのはいつもあなただと、私はちゃんと、ちゃんと知ってる。
陽だまりのあなたへ向けて
雨の新宿オフィスは大きな窓の濡れている。VRのようにも見える景色が実体を伴ったものであることを再認識させられた私は、本日幾度目かのあくびをしながら(そういえばここは東京なんだった)と思い出すように目を瞑った。何度掴んでもぼやけるように曖昧な生活はこの頃になってようやく実在性を帯びてきて、ここへやってくるのももう慣れたものだった。愛知から埼玉へと引越しをした十二月末から三ヶ月と少しが経ち、私はいつも、確かさを求めて生きている。
すべてが独立してあるべきだと考えるようになったその日からどれほど季節が巡ったかわからない。元来自他境界の曖昧な人間こと私は定められた領域を踏み外すことが多く、それによって不都合の多い人生をやってきた。己で完結するならともかく、厄介なのはその無邪気さによって他者が占有するゾーンへとずかずか足を踏み入れることだった。この場合においての無邪気さというのが良い意味で使用されているわけもなく、当たり前に私が最もやっかいな人間であったということはここ数年をもってようやく、文字通り痛いほど実感している事実だ。当時の私は典型的なメサイアコンプレックスで、それは、他者を利用して自己を肯定しようとする気持ちの悪い利己主義のことである。
ただ、それではいけない立ち返ろうと正反対の方向へと歩き出す、歩き出した、歩き出してからそれからもうどれほど経ったろうか、ようやく原点へと戻ってこれたろうか、x軸とy軸の交差点では私はおそらくまっさらな人間へと戻れて、だのにどうしたことか、一向に私のリセットボタンが押される日は訪れない、訪れない、この平面上には果てがない、このまま私はいつまでも歩き続け、元の形も思い出せなくなった頃にまた新しくなるんだろうか。私は極端な人間だった。ふと気がついて顔を上げた頃にはもうすでに、周りの人間の顔が分からなくなっていた。
独立国家私としてこの国に唯一定められた規範を紹介する。独立していること。それだけ。簡単だった。他者に対して近寄ることをしなければ、他者からの歩み寄りもそろりとかわし、全ての事象は他の全てとの依存関係をなくしてついに完全体へとなる。完全体の私は人を好きになるときに自らとの間にかかるはずの桟橋を気にしない、人に嫌われるのに生命として必須である恐怖すらも感じなくなる、あなたはあなた以外の全てをゆがめることができないし、あなたはあなた以外の全てにゆがめられることが決してない。極端である。こんなのは極論である。もう私が追放されるべきである、残念なことにこの国家では独立法が適用されており追放なんてものはないのである、それは、もう既にその状態であるのと変わりないからなのである。話を続けよう。
一か八かを体現して生きている私の喋ることはいつもたわごとなのでどうかこれを読むひとが一人でもいればどうかどうかこれを真に受けるなんてどうかしないでほしい。実際に私はそうやって日々を流しているけれど、それがいいことだとはいつも思っていないからどうか。人間はいつも一人ではいられないからどうか。私はどれだけの人に寂寥をプレゼントしてきたろうか、分からない、伝えてくれた人間のことしか覚えていないけれど、顔が分からない私にはもうそれすらもあやふやなんだった。
それとして、いくらかの独立感はあなたを幸福にすることを私は言いたい言いたいので聞いてほしいノートの切れ端の隅っこに小さくメモをとるように耳を傾けて聞いてほしい聞いてほしい。
この文章の多くはあわれな人間の呟きだけれど、その全てが間違いなわけではない。存在しうる全てがあなたと紐付けされた世界で私ははさみを持って登場しいらない紐を裁ち切っていく。基本的に紐なんてものは小指かどこかの指に絡まる赤色のもの以外は必要ないという通説もあるので遠慮せずざくざくと切っていく。がんじがらめになった私たちはようやくそこで呼吸をする。紐というのはなにかを繋ぐためにあるもので、あなたを不自由にするためのものではないとそう思う。この確立化されすぎてしまったあやとりの世界において誰よりも大きな声で私は叫んでいる。私の声の大きいのはこういうことのために存在している、川の向こうのあなたへ向けて力の限り声を上げる。あなたは私を見る。あなたと私はそこで目が合う。あやとりの世界は崩落し始める。
いつかのメサイアコンプレックスなどではなく私は独立国家私として独立国家あなたへと侵略などではなく友好としてこの右手を差し出す。そこには剣がないということを指し示す。いまから私が言うことを聞いてほしい、どうか心の片隅に。
あなたを紹介するときに特別な枕詞はいらない。あなたの見た目がどんなだって声がどんなだって思考がどんなだって生き様がどんなだってなんだってどうだっていいそんなことはどうだっていいあなたはあなたでそれ以上でもそれ以下でもないそれ以外でもないあなたはあなたでその他にあなたを説明しうる言葉なんてひとつもいらないひとつもいらない!あなたを紹介するときに、特別な枕詞はいらない。
あなたがピンクの服を着たからなんだって言うんだろうか。ピンクの服を着たあなたではない、あなたが着たピンクの服ではない、そこに依存関係は存在しない、あなたがピンクの服を着たことはその他のなんの意味も含んでいない。あなたはただのあなたで服はただの服だ、両者に他者へ干渉する能力は備わってなどいない、私は知っているからずっとずっとこうやって伝え続ける、せめて声の届く範囲へ届くことを祈って願って伝え続ける。あなたは随分と私に似た顔をしている。
春だからピンクのシャツを買おうとずっと思っていた私はきっとすぐにそれを手にすることだろう、ただの私が着るただのピンクのシャツは相互になにももたらさないが私はそれを喜ぶだろう、着られるためにただ存在している服を着るために手に取る私にピンクは陽射しをもって煌めくだろう、この世の全てはなにかを望んで佇んではおらずただ存在していることを知っているだろう、ピンクの唯一の望みとして風を受けることを叶えた私にピンクはよく似合うだろう。
私たちに唯一もたらされた絶望というのは、まさしく私たちは私たち以外のなにものでもないということだ。私は私だ、あなたはあなただ、ピンクのシャツはピンクのシャツだ。その呪縛から私たちは逃れられない、逃れられないがだからこそ私はあなたを愛しく思う。ただの私とただのあなたが互いに独立した状態で話をしている間に流れる川は、また新しい春を連れてやってくる。
そんなことがないことはそんなことはないといつも言いたい。私は静かなる怒りをもって私という存在を担保している。私とは違う人間であるあなたへ向けて、その輪郭を震わせながらいま名前を呼ぶ。
三月某日深夜、にて
夜はオレンジ。あるいは青。
内地に来てからはずっと白と黒のモノクロの帳しか見る機会がなかった私だ、けれど、今日、散歩をしているときに登った歩道橋横の街灯はまさしくオレンジ色だった。私は北海道の夜を思い出していた。
夜が特段好きな子どもではなかった。むしろなんだか怖いもののひとつだったと思う、それは、子どもの自分では手の届かない領域であることや、大好きなアニメ映画のひとつが影響していたように思う。物語の序盤で映画オリジナルのキャラクターは歌を歌う。金さえあればと歌う。夜にやってきたそのキャラクターが歌っている間、なにやら取り巻きのような影がうごめく。空はピンク色だった。夜になるといつもその歌を思い出すようになっていた。北海道の夜は深い青色で、街頭はオレンジが多かった。青とオレンジの世界ではそのピンクがどこかに隠れているような気がしてならず、私のところへもいつか怖いなにかがおとずれるかもしれないと、夜になる度に怯えていた。
白と黒の二色で構成された世界は、夜というよりは、なにか別世界に迷い込んだような心地がいつもしていた、いや、そもそも、北海道からこの本州へとやってきたあの日に、その足を踏み入れた瞬間に、すでに私は別世界へとやってきているのかもしれなかった。今日オレンジの灯りをみて再びあの歌が流れた。私にとっての夜だった。
無駄が好きで、きらいだ。散歩なんてものは無駄の塊である、私は無駄をやっている、渡る必要のない歩道橋に登るのも無駄である、私は無駄をやっている、用事のないドン・キホーテへ向かうのは無駄である、私は無駄をやっている。無駄が嫌いで、すきだった。
ドン・キホーテへ行くなら夜だった。いや、たとえ昼に行ったとしてもドンペンくんが私たちの味方であるのは明らかな事実だけれども、確固たる味方を求めにあの喧騒へ吸い寄せられているわけではなかった、ただ、この静寂のなかに静かをまっとうしなくてもいいと示してくれる賑やかさが恋しくなるのは夜だった、私は、夜を越すためにいつもなにかを求めている。
用事のないドン・キホーテへ寄ったとして用事がないので当たり前にすぐに出るのである、そのときに感じていたことは、遠ざかっていくあのテーマソングを聴きながら思ったことは、やっぱりこの静けさの中の冷たい空気のことだった。冷えた空気はいつも私を教えてくれていた。自分では分からない輪郭をなぞって、そのピリピリとした痛みに似た冷たさで私という存在をあけすけにする、かじかんだ指先はいつも確かなものだった。反対に、夏のことを思っていた。概念的な夏は好きだけれど、実際に夏を過ごすとなると当然に話は変わる、私は基本的に暑いのが好きではないんだ。冬が寒くて身が軽くて輪郭が浮かび上がるのなら、夏はまるきり違っていた。暑くて、なんだか重量感がいつもあって、それというのにその輪郭は不鮮明だった。私以外の全てがギラギラと彩度明度を上げているのに、私はいつもなんだかすぐにおぼつかなくなってしまいそうな存在だった。私の融点なんだろうと思った。本当にそうなのかは知らない、第三者ではないので、知らない、けれど、まるで水のように己をイメージしているんだと思う、そのまま暑さが上がり続けてゆけばそののちに私は気化してしまって、死んでしまうってきっとそういうことだった。いつもいちばん死に近いのは私にとっては夏だった。生命が見ていて辛いほど輝いていく度に諦めなければいけないような心持ちだった、あ、いや、それはいつもそうだったかもしれないと、そう思った。
花が落ちていた。写真を撮る。落ちていない花も好きだけれど、落ちている花も好きだ。思えば、あのピンクを恐れていた頃の私は、あわせて花のことも恐れていた、スカートを恐れていた、ロングヘアを恐れていた、わたしという一人称を恐れていた、私は性別というものに脅かされていた。本当は、ほんとうに脅かしてきているものが性別そのものではなく、その小さな世界での様々なロールであることも知らなかった。幼かった。
ある程度年をとって自分の恐怖の根源を突き止めた私は、その根元が存外ちっぽけなものであったと知った。ここ数年は、服装にフリルやリボンがあしらってあるものはかわいいし、ズボンとスカートのあわせはかわいいし、花はとてもいいものだった。この社会における性別という区分の前にわたしはわたしであることを知った。いまではたまに、部屋に花を飾っていて、私はそれをいたく気に入っている、わたしは花を気に入っている。
わたしの視点はいつもカメラだ。歩きながら花を見る、歩きながら光を見る、歩きながら影を見る、カメラは光景を撮影してそして頭の中で投影された映像は作品として上映される、視界に広がる世界を頭でも同時視聴しているような感覚、するとそこにはいつも私という登場人物がいて、視点はその他にもうひとつあって、全体でふたつにわかれている構成だ、二視点あるうちのもうひとつ、己を含めた世界を俯瞰するような視点はゲームのような感覚で動いていく。当事者意識のない人間だと思う。私はRPGをやっているので知らない道を歩くといままでなかったマップが更新され広がっていく、起きることは全てNPCのように自然に発生した事象だ、たとえそれは自分が関わっていたとしても。当事者意識のない人間だと思う。輪郭どころか、自分のことなんてなにも知るわけがなかった。
どうして見たものをそのまま保存することはできないんだろう、こんなに美しいのに。
言葉を綴るのが上手いと評されることの多い私はありがたくもそんな評価をいただく割に実の所はテキトーなことを言うのが上手いだけだった(このテキトーは適当の方ではないテキトーであること、わかってほしい)。私は、口が勝手に紡いだ文章をあたかもそうであるかのように振る舞って今日まで残念にも生き延びてきている。自分にも自分の思っていることは分からないし、自分が喋っていることさえあやふやだ。私は自らの全てに確信がないので、家に着いたときにさえ安堵なんてしていられず、ああここが今の住む場所か、なんて思いながら鍵を回している、ガチャリと鍵の開く音がする、ドアノブを下ろし、ドアが開く、灯りをつける、もう見慣れたといってもいいだろうその空間には、一人分のスリッパが乱雑に置いてあった。
創作とリアルの分別もつかない私が書いた今日のこの文章はいったいそのいくつが真であるだろうかと、一人の自室には静かに疑問が張り巡らされているような夜だった。
2月28日
わたしの文章はどうやら言葉の重みがなかなかあるようで 自分で思っているよりも硬い印象なのかな〜と 仲良しのフォロワーさんに言われておもいました
なので 今日はかる〜く いつも頭の中でなにを考えているのかをかる〜く そのまま なにも考えずに打っていこうかな、と
いつも特段意識してなにやら格式張った文を書いているわけではないのですが 頭がなんだかふたつに分かれているようで わたしは 脳みそが動き回ってとまらないとき 言葉があふれて止まらないとき 感情が昂っているときは ああいった文章ままを頭のなかで生成して 生成というよりは次から次に浮かんでは張り巡らされて ぐちゃぐちゃだ!と思いながらいつも 出力しています わたしはうちになにかそのまま溜めておくのが苦手らしいです
どうしても どうにかしても どうやっても だめな日はあります きっとみんなあるんだろうなあと、思います だめなことが悪いことはなくって そんなわけはないと きちんとわかってはいます そのつもりです
ただはたして 自分にもそうやって言い聞かせることができるかといわれると そうではなかったりします きっとそういう人は多いんだろうな みんな 大変ですね つらいね
ゆるされたいなとよく思います なにに?と思います なにから?と思います どうして?と思います
帰りたいなとも思います 同じように どこへ、とか どうやって、とか そんなことを思います
いつまで続くんだろうなあと そう思います わからないね ごめんね
大丈夫だよ〜と 言いたいです いや うーん 言えるようになりたいです あなたにも わたしにも ほんとうは
部屋がさむいと結構嬉しいです 寒いときはなんだか輪郭が鮮明な気がしませんか 夜中、ベッドを抜け出して 闇のなかをさまよって 眠気まなこのまま飲み込む水にもそう思います いちばん思ってるかもしれないです 食道を通る液体はそのまま道筋を教えてくれます そういうときに 存在しているなと思う たとえば 冬の冷気で肺が満たされたときとかも これはわたしの形だなと思う 教えてくれてありがとう
大丈夫になりたいな 全部が もう全部大丈夫になりたい そういうときですね そういう波がきている んでしょうね じゃあそうかあ そういう風が吹いているんでしょう ね じゃあそうなんですよ いいよ もう
ゆっくり 音楽を聴きます こういうときは言葉があるとつらくなるもので インストって大好きです 宇多田ヒカルは喋れないけど歌えるよという歌詞を書いています そうですね 同様に 言葉を 声を 音を 発していなくても いいんです いいんですね それも音楽 実は休符だって音楽ですからね 4分33秒を知っていますか あれおもしろいですよね なんだっていいんだよね ほんとはね
でも つらいな かなしいな て そういうとき私は正直 いちばん優しいんだろうな〜とも思います 知らないです ほんとのところは 私は実はなにも知りません よろしく
さようなら僕のかわいいシロツメクサ
赤い車はカーブを曲がる。帽子をかぶった女性が渡る橋の上には雨が降る。エレベーターは光の箱。起きて仕事に行った。世界は美しいとおもう。
ホットココアを飲んでいる。ホットココアを飲みながら文章を書いている。ホットココアを飲みながら文章を書いている私は優しさについて考える。優しさは返事をしない、金曜10時だ、私に、優しさについて教えてくれる人はいない。
私は、恋人に優しいと言われる。
優しさについての話をしよう。
優しさ(やさ-しさ)は、インターネットという現代における台風の目で検索するとまずはじめに
1 姿・ようすなどが優美である。 上品で美しい。
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
3 性質がすなおでしとやかである。
と出てくる、出てきた。
今回主に話すそいつは2にあてはまる、というより、2以外の意味についてはまだあまり考えたことがない領域だったので、下手な口笛を吹きながら割愛をしていく。
むかし、だれか、大人のだれかに、人の横で憂うと書いて優しさと書く、と教えられたことがあった、私は(人の憂い)では、と、いまになって思う。それは、誰かがいなくたって誰もいなくたって、おまえの優しさは変わらないからだった。おまえは、たとえ世界が滅んだあとのひとりぼっちだったって変わらず優しいからだった。
この世の中に現存する言葉の中で言われて複雑になるセリフランキングを催した際に私が一位の冠を被せるのは「優しいところが好き」で、惜しくも二位の座に甘んじているのは「強いね」、圏外だが安定した実力を誇るのは実家についての質問で、それは今回の話には関係がないのだから閑話休題、ここでココアが無くなる。
優しさについての話をしよう。
*
人間は変数だった。変数それぞれに名前をつけて保存を繰り返し繰り返されてここまで生き延びてきたのが私たちだった。変数nは増え続ける、私たちはnのうちのただひとつに過ぎず、そしてそれはn=1ではないことを指す。
if i were you、if you were me。これについての答えは一つだけと決まっている。youはyouで、meはmeのまま。世界はなにも変わらずあなたという自意識は完全にあなたのまま、そこにかつて私だった私が付け入る隙はいつも少しもないのだ。それは同様に、私といういれものにあなたが付け入る隙はないということでもある。もし私があなただったら、あなたという自意識で、あなたが辿ってきた道のりを寸分違わず歩んでいくし、あなたが迷った末に決死で選んだ選択肢を同じ強さで握り締めることになっていた。あなたも同様に、今日というこの日に、落としていた家の鍵を見つけた後にココアとスイートポテトを頼んでそれを楽しむようになる、私たちは、いつもイコールで結ばれる。
あなたという存在は全て外的要因によって形成された末の産物だ。あなたはあなたの両親の遺伝子情報によって作られていて、それによって持病の頭痛に悩まされている。あなたは幼少期の環境によって人格形成されていて、それによって友だちを少し失い、かけがえのない生涯の隣人を得る。あなたは、あなたの周りの全てによって構成され、そうして今度は、あなたが世界を構成していくひとつになる。たとえ私が、あなたであっても。あなたという存在はあなただった。私がアメリカの大統領だったとき、そのときは変わらずホワイトハウスで書類に埋もれる今日になる。
人間は全て等しく、あなたはあなただった場合の私に過ぎない。逆説的に言ってしまえば実は私はあなたであって、そうしてそれは同時に、あなたが私であることを示すなによりもの証左でしかない。あなたという個体に私という個体としてたったいま出会えて良かったと、私はいつでもそう思っている。
*
私は自分が代替可能なものであると理解したとき、人生の中で最も暗い谷底に続く階段をおりていく。優しさというのは、替えのききやすさという点においてはなによりも優れていて、それというのはみんながあたりまえに知っている事実だった。いいや、本当の話をおまえだけにするのなら、そいつはいつだってかんたんに替えがきくものでないといけない、というのが本当です。優しさなんかが替えがきかなくて希少価値の高いものになってしまうなら、私たちはもう二度とりんごのうさぎと対面できなくなってしまうんだった。お子様ランチに立つ旗に、ひとりでは辿り着けなくなってしまうんだった。
風邪を引いた夜に汗を拭いてやるのは優しさであって優しさでない、私の世界の中でそれは尊重というふうな名前でも呼ばれている。りんごのうさぎは、多量の優しさと少しの水分とで成り立っている。
付き合ってきた、過去の恋人たちからは優しいと言われていた。ありがとう。優しいところが好きだと言われていた。ありがとう。私はその度に喉元へ熱いナイフを突きつけられたときとおなじ心臓の動き方をさせている、ありがとう。私から優しさが消え去ったとき、もしくは上位互換である優しさ検定一級を持つ優しさエリートが現れたとき、そのいずれかの場合に私は用済みになりぐしゃぐしゃに丸められてくず箱へと投げられる、放物線はきれいにくず箱めがけて描かれる。優しさというのはかけがえのあるものでないといけない。
悲しいことがひとつあった。悲しいことはいくつもあった。悲しいことに、悲しいことに気がつくのに遅れてしまった。
私はどうしてあなたに優しくするだろう、私はどうして優しくあろうとするだろう、私はどうして優しいと言われているんだろう、わたしは、どうして(これは無限に続いていく)。
カップに珈琲が注がれる、あなたはどうしたの、と言う、私はどうしたの、と言われて、どうしたんだろう、と思う。なにを考えているか聞かれてなにかを考えていたことに気がつく、悲しい?と聞かれて悲しんでいることに気がつく、息をしているか聞かれて息をしていることに気がつく、死にたいかを問われて生きていることに気がついた。指摘をしなければ世界はそのままで、認識をしなければ私は変わらずニュートラルだ。
私は人に優しくするときに、特になにも考えずに<優しい>と評されることをやる。なにも、というのは例えば見返りであったり、自己研鑽であったり、正義心であったり、愛であったり、そのどれでもない。強いて言うなら自己満足と呼ばれる器だけがそこにはあって、それは空っぽだとひどく痛むので、どうにか満たしてやる必要がある。悲しいことがひとつあった。
優しいところが好きと言われたあとのしばらくを私は落ち込んで過ごした。私は相手の優しいところが好きなわけではなかったから。優しいところも含めて元恋人たちの美点だとは思うけれども、そんなのはなくたって構わなかった、例え包丁を向けられたって(実話)貶されたって(実話)嘘をつかれたって(実話)ないがしろにされたって(実話)それだって好きだった(むしろなぜ)。私が人を好きになるのに相手と私を繋ぐ桟橋は必要がなかった、たとえあなたが私を知らなくても私はあなたが好きだった。積み上げた関係性も尽くしてもらってきた善意もあなたとの間の思い出もその全てはあなたを好きになるのにそんなには重要ではなかった、私はあなたが好きだった。悲しいことが、ひとつあった。
ここまで綴った全てをまるでオセロのコマみたいに裏返してみると、世界がひっくりかえって珈琲はこぼれて前髪は垂れ下がって頭に血が上ってあなたは世界のすべてがわかってしまう。好きになるためのポイント加点地点として優しさが必要ではない私にとって優しさを振る舞うというのは同じく恣意的な感情を含んでいないので、優しいところが好きと言われたときそのときの私は自覚のしていない領域で自らの行為が相手へとポイントを与えていたことに気がついて気がついたから大声で叫びたくて転げ回りたくて階段のいちばん高いところから飛びたくって飛んで着地失敗したくってそうしてそのまま死にたくって死んでしまう。悲しいことがひとつある。
あなたという存在はいつだって大切にされるべきだと私は思う。そうして本当なら私も大切にされるべきなんだとそうわたしは思う。みんなが大切にされるべきでお互いに大切にしあうべきだと、いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもそう、わたしはおもう。
優しさなんかを渡されて人を好きになるあなたが悲しい、優しさなんかがポイントになってしまう世界が悲しい、優しさをポイントと捉えられてしまう可能性を危惧しなければならないこの状況が悲しい、優しさなんかがあなたへの愛だと思われてしまうことのなによりも悲しい。優しさは人の憂いだ、私の憂いはあなたをあなたたらしめるなにかが失われてしまうことだ、私はあなたを尊重する、そうしてすべてを尊重する、その尊さとか重みとか柔らかいカーブだとか流れるような温度だとかその全てをその全てのまま尊重する。いつだってただ、尊重していたかっただけだった。尊重されていたいだけだった。私は尊重されていたかったからだからだれのことだって汚すわけにはいかなくて、ただそれだけで、そんなのは優しさとは呼べなかった。
優しい私は優しくしていたらしい相手から告白をされることが多くそのどれもが私の優しさをジロジロと見たあと無遠慮にジャッジして自分にとっての都合の良さで私を選んでいることでしょう。いつかのそれが自らに益をなすことをわかってもしくは現在にこそそれを欲して利用価値があると踏んでいることでしょう。いつだって自分にコーヒーを入れてくれるんだと思っているんでしょう、そんなふうに思ってしまう私がいちばん悲しいんだってそう思っている、悲しいことがひとつある。替えのききやすさでは随一な私は今日か明日にでも優しさ検定一級の優しさエリートが現れてこの私の持つ全てを明け渡さないといけない状況になるらしく、悲しいことに、それは例えば、このブログだったりするんです。
ハンティングナイフのごついやつをあげる、待ってて
なにを話すべきか、話すまいか、考えあぐねているうちに日は沈んだ。取捨選択が苦手な人間だった。わたしたちが互いに百パーセントの理解をし合うことはできないとわかっていた。その極端な性質から、それならばなにも知ってくれなくていいと、そう思ってしまうほどには捻くれた人間で、そんなわたしだったからよほど親しくなれる人間というのは限られていた。彼ら彼女らはやさしい人たちだった。自分が嫌いだった。
私のことを話そうとするとき、いつだってセクシャリティの説明が必要とは思わなかった。それは私を構成する確かな要素のひとつであることに違いはないが、私は私のことを特別と思ってはいないがために、その普遍性というものをあえて話の中に含有させるには、重要さがいまひとつ足りていないと思った。ただ女性を好きになるだけで、元々私は自らに対して強く女であると感じることは少なかったから、それは特筆して語るべきでもないと感じていた。
そんな私を知ってか知らずか、小学四年生のときだった、母は、女友達に好意(……レズビアンエピソードにありがちな、男だったらというifの好意、実際には存在しない)をよく持ってもらえることに喜ぶ私に対して「おまえはレズなのか?やめてくれ」と、宇多田ヒカルのアルバムが流れる車内でそう言った。夏の夕方、学校から帰る道中、当時の私はレズビアンというものを深く理解しておらず、その音だけが頭に浮かんだ。れず、というものは文脈的に、きっと、あまりよくないものなのだろうと、それだけがわかった。それだけが分かったので、「なわけないじゃん、やめてよ」と投げた。母は、当時既に40代も半ばに差し掛かる、バブルを生きた女性の一人だった。音楽はサビにかかってその音量は緩やかに増していく、バックミラーに映る母の顔を、私はどうにも思い出せない。
私は正直、人を好きになるには向いていない性格だと思う。だと思う、と、断定的ではない言い方をすることは、好きになるのに向いているもクソもないだろうと言われたらなにも言えなくなるからだ。そう言われた私は口を噤む、いや、いやでも、いやでもやっぱり向いていない、向いていないと思う。ほら、また否定の余地を残している。うるさいな、話が始まらないからこのまま進めるからだから、一旦すべてを飲み込んで聞いてほしい、私は、(否定しきれない可能性を包括したまま)人を好きになるのに向いていない人間だった。
*
区分というのは、なんらかの基準によって物事をいくつかに分けることを言う。そして分けたあと、分けられたその要素のひとつたちをいつまでもa、a'、a''と呼んでいくわけにもいかず、それらは名前をつけられる。名付けられたそいつは今度はまったくその名前であるという顔をして、主体がそいつ自身になる。元の姿を忘れて、依存関係を忘れたそいつは新たなジャンルを確立する、そしてまた要素が、と、区分には果てがない。果てがない私たちはいま82億通りの区分を、更にはaとbの要素を持つ区分を、a'とb'の区分をされていく。名前をつけることも、つけられることも苦手だった。それは果てを、大きさの合わない型に無理やりとねじ込められ整列される様は、私たちの現在を否定することに繋がるからだ。あるがままを見つめろだなんて大層なことを言おうとは思わない(思えない、が正しいかもしれない)し、そんな自意識も傲慢も持ち合わせているわけじゃあないけれども、ただ釈然としない不気味さは残った。ひとつの瓶に詰め込まれたバジルペーストは、混ぜられたはずの油といつかバジルだった個体に分けられる。
*
あえて遠回りをすることを選ぶ、あえて明らかにすることを避ける、あえて、わたしの全てをあなたに伝えようとは思わない。
いままでの恋愛遍歴から察するに、おそらく私はいわゆるレズビアンで、他の側面を見てみたときにはデミロマンティック、クワロマンティック、サピオセクシュアル、ノンバイナリーなど、そんな様々を要素として見つけることができる。できる、が、それを厭わないかどうかというのは、その事柄の可不可とは違った場所にいる、別の問題であることはわかりきっていた、それは、私の自由意志によるもので、過去の私と現在の私、未来の私は地続きになっているというだけの、入れ物の同じな別の人間だからだ。
ではそんな、自分の手の届かない領域の対象を、果たして自分の好みで塗った色眼鏡で、余計な純度のフィルターを通して、抵抗できないおまえを自分勝手にカテゴライズをしてもよいものか。私は、当時の自分の全てを今完璧に再現出来るわけでもなければ、再現出来ないのであれば到底理解しきれるはずもない。整合性のとれない過去の私自身を愛して、目一杯尊重するためには、今更なにも断定はできなかった。それは未来にも、あるいは現在にさえ通ずることだった。私は私のことも分かりきってはいない。証左という獲物をこの利き手に掴んでいないのに、なにも明言はできない。
とはいえ、人と話をするときにいつも可能性を孕んだ言い草をわざとに選んでいるわけでもない、私は、私と話をするとき、そのちいさいちいさい脳みその中でさらに小さく丸まって対話をするときに、なによりも傷つきたくないだけだった。日が沈む、夏の風が吹く、初めて母の口からセクシャルマイノリティの名称を聞く。きっと人よりも早く、感情がナイフであることを知っていた。
*
人に恋愛対象としてみられることの恐ろしさを知っている、同時に、人を恋愛対象としてみてしまうことの恐ろしさを知っている。友愛の先に恋愛があると思わない、そうして、恋愛がすべからく私の視界に鎮座するとも思わない。恋愛が至高と捉えていないし、ないけれども、恋愛感情がない関係を高尚とする態度でもない、私達の関係性の全てを既存の言葉で暴くことはできない。
心の椅子を誰かに明け渡したとき、果たして私はまっすぐにあなたに愛を渡せるだろうか。わたしは何度も失敗をした、いくつも傷をつけて、つけられて、すっかり人を招き入れるのに怖くなってしまった。
友人ができたとき(ここでいう友人、というのは相手からの認識もそうであることを前提とする、一方的な感情ではなく相互の信頼関係が成り立つ私たち)、私はあの手この手であなたを大切にする。なによりも優しくありたいと思うし悲しむことのあってほしくないあなたに、まっすぐに目を見ていつだって本当の話がしたいと願う。ただ幸せであってほしい一心で、文字通りただひとつのその心であなたに温かい飲み物を入れる。
心をゆるせるほどの距離にまで来てくれた友人たちの、ほとんど全員となんらかの形で恋愛関係が成り立っている。彼女たちは、私を恋愛的に好きになってくれる。私は、彼女らをはじめのうちはただのあなただと思う。そのうちに何よりも大切だと思うこともある。ただそれは、恋愛感情というものに限っての話ではない。おなじ気持ちをおなじまま返すということは、私にとってなによりも難度の高い用命となる。私たちの見ているオレンジは同じ色をしていると限らない。
悲しいと思うことが悲しかった。幸せだったときもあって、いやむしろ、その時間の方がよほど多くを占めていたはずなのに、誰一人として永遠になれなかったことが、ただずっと一緒にいるということが叶わないことが悲しかった。(それは私が招いた事態だった)といった傲慢な思い込みを否定することはできるのに、ただどうして、私が同じ感情で返せたならなにより素敵なかたちに収まることは白日に晒された事実だった。幸せだったときもあって、というのは、幸せではないときもあったことを告げるセリフだ。薄明るいのか薄暗いのか分からない車内にはばらばらの気持ちを抱えた親子がいた。
感情はナイフだった、恋愛というのは暴力だと思った、唐突に暴力を振るわれた通行人は為す術がなく、大切な友人に自らへの恋愛感情を吐露された私は死刑台に立たされる。どのボタンを押すにせよ、いまの私たちは死ぬ。
人に恋愛対象としてみられることの恐ろしさを知っている、同時に、人を恋愛対象としてみてしまうことの恐ろしさを知っている。私も人を好きになってしまったことがある、それに気付かされてしまったことがある。恐らくは無意識に見て見ぬふりをしていたそれは簡単に看破されて、晴れて恋愛関係が成り立った彼女と私は今別れて一年以上が経ち見事に疎遠になった。恋愛は執着で、執着は恋愛で、そんな歪な感情が混ざった橋は脆く崩れやすいので私達は今後二度と友愛の橋を渡れない。コーヒーに泥水が一滴混ざれば、それは泥水だ。
私たちは互いが互いに銃口を向け合いながら常に関係をやっている、引き金はいつでも引ける。
私は正直、人を好きになるには向いていない性格だった。だと思う、という語尾から変遷したこの文章を読むあなたにはもう分かる。恋愛と恋愛以外の全ての感情に対して、名前をつけるのもつけられるのも苦手だった。それは名前をつけた途端にそれにならなくてはいけないから、それはセクシャリティに関しても同様だ。
ただまっすぐにいたいだけだった。好きだと思ったら好きだと言いたかった。ただ純粋な愛を渡せる隣人でいたかった。世界は私に厳しい、恋愛という花を持ちたがらない私に厳しい、たまに気が向いては持ちたがる私に厳しい、種に無理に水をやる世界は私に厳しい、知らずに人の種に水をやってしまう私に世界は厳しい。
恋愛感情を持たないわけではない、恋愛感情を向けられたくないわけではない、恋愛感情を持っていても関係を持とうとは思わないというわけではない、性的欲求がないわけではない、性的行為をしたくないわけではない、友愛と恋愛に区別をつけたがらないわけではない、女という自認の上で女を好きなわけではない。
グラデーションの私たちは名前をもたない。区分はあくまで大まかなもので、その線引きにもたれ掛かり安堵するおまえもいれば、どの線引きからも疎外され彷徨うわたしもいる。私はただの私でおまえはただのおまえだった。ただの私がただのおまえに出会えることを私はなにより嬉しく思う。

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