弱い人

仕事が終わって、残っていた材料を使い(私は飲食店勤務だ)同僚が作ったスイーツはそれはもう絶品と呼べる代物だった。堪らなくなって近くの自動販売機に駆けつけ、コーヒー缶をひとつ買った。私はなぜだか頭が悪くて、冷たい物が出てくるものだと思い込みながらスイッチを押したので、ガコンと落ちてきたそれを手に取ったときにそのあたたかに驚いて手を引っ込めた。もう一度コーヒーのボタンに目をやると、間違いなくそいつが温かい飲み物であると書いてある。どうしてアイスコーヒーが出てくると思ったんだろう。もう十一月も一週間が経つ頃、霜が降ることが由来の名前がついた今時期に"あったか〜い"がこの箱の大半を占めているだなんてことは想像にかたくない。むしろ当然とも言えるのに。きっと今日が暖かかったからかなあ。

ホットとアイスを間違えた、と零す私に同僚は「変な人だ」と笑った。変な私はホットコーヒーも美味しいからいいんだけど、と思う。

疲れた体にはコーヒーはよく沁みて、ほっとひと息ついた瞬間、今日も頑張った甲斐があるなと思えた。今日頑張ったのは多分これのためだった。私がそう言うと同僚は「安いなあ」とまた一つ笑って、自分が食べたいからと作っておいてまだ一口も手をつけずに、それでも満足そうに目を細めタバコを咥える。二十も年の離れた彼女からすると、私はまだまだ子どもに見えているに違いない。それは間違いなく事実ではあるんだけれども。

今日が期限の特製クリームは、とても甘い。

 

人間の強弱の話をするときに、何が一番に浮かぶだろう。単純な強さ弱さ、それは体の大きさや筋肉量、身体を動かし慣れているか。そういったところがおそらくは要になってくると思うんだけれど。では心の強さというのは、どうやって鍛えればいいんだろうか。

私は本当に弱い人間で、怖いものが沢山あって、他人はおろか自分のことさえまともに信じることが出来ない。いつもなにかに怯えていて、その度胃を痛めて、すり減っていく心のこぼれていくかけらを思いながら、ついさっきまで私だった一部にさえ気をやれない。心配ばかりするくせに、満足に体が動く訳でもない。ろくでもない人間だ。

弱い犬はよく吠えるとはよく言ったもので、実際チワワなんかはその体の数倍もある犬に比べてずいぶん騒がしいイメージだ。弱いからこそ、それをわかっているからこそ、威嚇のために懸命に吠える。自衛をしている。私もそうだった。

私は本当によく口が回って、喋るのが上手いという評価をありがたくも頂くことが多いのだけれど、実際のところはそんなことはなくって、ただ本当に。沈黙が怖くて仕方ない性質なだけであって。良くも悪くも常に喋っている。なんでも喋ってしまう。だからそのときも、同僚の中にこわいひとがいる、ということをスイーツを食べながらこぼしてしまったのだ。

元々は店仕舞いをしながら元気がないけどどうかしたの?と聞かれたのが始まりで、誤魔化すことだってできたのに、私は馬鹿正直になんでも話してしまった。今思えば、そうしてしまうほどには、なんでもないという言葉が喉をつかえるほどには、結構やられているのかもしれなかった。

こわいひとがいる。なにが怖いかって、その人は私がいるときには決まって不機嫌な人なのだ。数瞬前には別の同僚と仲良さそうに話していたのに、振り返ってこちらにやってきた瞬間に生活音が大きくなって、しかめっ面になって、語気を荒ませた調子で突然に大きな声を出しこちらへ指示を(もしくはダメ出しを)する。かと思えば、今度はまた振り返って笑顔で同僚と話し出す。その緩急に驚きつつも、心臓は正直だ。その人が前振りもなく大きな声で怒鳴るようにこちらへ話しかけてくるその度に、私は少し泣きそうになって、そうして思い切り走り出す心臓に体の全部を支配されている。本当に、弱くて仕方ないのだ。

どうしていつもそんなに怒ったような振る舞いなんだろう。どうしてそんなに私が気に入らないのだろう。どうしてどうして。

原因は分かっている。その人からすれば私は何かが足りなくて、それが気に入らないとそれだけのこと。おそらくその何かというのは仕事のことであったりするのだけれど、面と向かって注意してくるというよりは(してくるときもあるのだけれど)大概はなにも言わずにただ一人で怒り出している。困ったことに私はその対処法を知らない。なぜなら私は以前上長に教えられた通りに仕事をしていて、その人のタブーに触れる部分というのは必ずしもそうすべきものではないことがほとんどの。要はその人個人のこだわりがあって、それと違ったやり方をしている、ただそれだけなのだ。ただそれだけで、最近は無視をされたりなんかするわけで、もうどうしたらいいかわからない。これこそ万事休すだ、そんなふうに思う。

不機嫌なひとがそばにいることがいちばんに怖い。何をするか分からないから。何をしていいか分からないから。ため息であったり物を置く大きな音の一つ一つにビクビクしてしまうから。私は弱いから。弱いから、なんでも怖がってしまうから。

それでも気丈に振舞おうとしてしまう。私が怖がっていることを相手に悟られないようにしようとする。隙を見せないように。弱さを見せたらおしまいだ。そのときには、更なる追撃がやってくるに違いない。そうして私はまた多くを喋って、自分を強く見せようとする。同い年の同僚にも、私は全然気にしていないと豪語してしまった。本当は、一緒にいるだけでお腹が痛くなるのに。

こわいひとがいる、ということを話して、話し終えて、そうするとスイーツを作ってくれた同僚は「困ったねえ」と、本当に困っていそうな答え方をした。困らせてしまって申し訳ないと思った。きっとこちらを心配してくれているその様に、また申し訳ないと思った。

その後はまたぼちぼち話をして、またいつでも連絡してきてくれてもいいよと言ってくれた。シフトが被ることが少ないからと。優しい人だと思った。でも同時に、どこかでわずらわしく思わせているだろうことが心配だった。私からメッセージを送ることは、きっとなかった。

弱い人間だ。弱い人間だから、こんなに怖いけれど、相手のせいにしてしまえない。どこかで私に非があると思うからこそ強く心を保てない。あの人は可哀想だと思って、理屈ではそう思えて、でも実際に対峙するとただただ恐ろしい。次は一体何を言われるんだろうと、そういったことばかりを考えてしまう。

私はほんとうに、ひたすらに弱いんだ。

 

弱さは優しさにもなると、いつか言われたことがある気がする。本当にそうならいいなと思った。誰のことも傷つけたくない。傷つけるのすら怖い。それは、自分が傷つくことに繋がるから。でもそんなことはできっこないと知っている。人が人といるには傷をつけ合うことを避けて通れない。多かれ少なかれ、互いに傷つけ合いながら一緒に過ごすしかない。

でもなあ。自分にとってそんなに価値がない人に傷つけられることを良しとしたくはないなあ。それに、優しくだってなれない。普通に話せたらいいのにね、と同僚に言われたときに、そうですねと答えた私は、本当はそんなこと微塵も思っちゃいないのだ。話したくなんてないから、話せなくっていい。ただ話さなきゃいけないときだけ普通にしてくれればいいのにと。

だってもし傷をつけ合うのならば、そんなのこれからも一緒にいたいと思える相手がいい。それは例えば、恋人だったり。傷つけ合いながら優しくしたい、そうやって生きていきたいと思える人に。

弱さが優しさになるのなら、この弱さを、あなたのためにあると言える相手と大切にしたい。

 

スイーツを食べながら、私は弱いから、弱いなりに人に優しくしたいなあと思った。それはまるで、この特製クリームみたいに。